何の気なし日記 残響とクリエイターの話
どうも、畑中です。
会社のお昼休み、メシをキメてソシャゲを消化し徒然なるままにしたためております。
昨日のダブルパンチから一夜明けましたが、なかなか気は晴れてはくれません。
むしろ動画やらインタビュー記事を巡ったことで、より現実味マシマシです。
さて、そんなこんなで「クリエイターの死」というものに直面すると私は必ずと言っていいほど入間人間著「バカが全裸でやってくる」の女性作家の話を思い出します。
ある女性作家が轢き逃げされ、遺体を処理されてしまったため行方不明状態に。ところが、魂のみがPCと共に漂い続ける状態になってしまったことで、行方不明のまま創作執筆、発表し続ける日々を送るのだが…
といったお話。
私はこれを読んだ時「死後も創作ができるなんて最高では??」なんて感想を抱いた記憶があるのですが、
いざ、好きなアーティストの方が亡くなると、「機材はあちらに持っていったのかしら」なんてこと思ったりするのです。エジソンが霊界通信機を作ろうとしたのにも納得がいきますね。
閑話休題、一ファンとしては、あちらでも曲を作って下さっているなら私がゆく時も楽しみが増えるというものであります。
こんな妄言を吐き散らしちゃうわけですが、「神は気に入った人から先に連れていく」といったような荒唐無稽な希望もこんな妄言からくるのかもしれませんね。(自己肯定)
彼の残響を聴きながら、また帰路につきます。